ボストン交響楽団で29年間音楽監督を務めたオザワは、音楽だけでなくボストンを変えたとされています。
オザワがボストンに来た1973年当時クラッシク音楽は上流階級のものであり、伝統と形式にとらわれた社会でした。
それをアジア人であるオザワが、自由でオープンなスタイルと高い技術で変えたのだということを知りました。
バッハやベートーベンといった白人の芸術を日本人が解釈することには抵抗もあったということですが、持ち前の明るさがボストンの社会自体を変えたということです。
世界のオザワと言われて歴史にその名前を残した人物らしく、やはり情熱と信念にあふれる人物であったということがよくわかりました。