「我が人生 ミハイル・ゴルバチョフ自伝」(ミハイル・ゴルバチョフ著)

 1980年代ソ連共産党書記長として行われた民主化への改革ペレストロイカを成し遂げた筆者自身に書かれた自伝であり、現在のウクライナ侵攻に対して真っ先に対話による解決を促したことでも存在感を示しました。

 1980年頃のソ連ペレストロイカのような改革を実行するために、そもそも民主化された体制やグラスノスチ(情報公開)により国民の知る権利、集会の自由、言論の自由などが与えられた国家というものがどういうものになるのか理解できない市民では改革を主導できないと考え、共産党指導部から慎重に、かつ確実に改革を進めていった過程が説明されています。

 当然ながら共産党指導部でも抵抗する勢力があり、改革は容易でなかったとされています。

 当時のソ連では経済が停滞し、多くの問題が解決されないままになっており、その中で市民に開かれた政治で突破口を見出そうとしたのであり、偉大な改革者としての強い意志と明確な判断基準が見られます。それは流血を伴わないこと、国民に率直に現状を知らせること、一定期間でリーダーは後退すること、相手を尊重し対話で解決を探ることなどでした。

 当時の米国大統領であったレーガン氏とのレイキャビク合意など大幅な核戦力削減など功績は極めて大きいといえますが、現在のロシアとウクライナの状況や世界の不安定な状態を考えると、ゴルバチョフ氏が目指した理想はまだ道半ばというところですが、ゴルバチョフ氏が大切にした基本的な価値は現在でも有効であり、特に国家のリーダーの地位にある人物は自らの地位に固執することや金銭を目的にした行動は現に慎まなければならないということが改めてよく確認されました。

 

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